U社は、N港において輸入原材料の荷役作業を行っているが、セメント、硅砂、耐火レンガなどの窯業原材料を主に扱っている。
本災害にかかるセメントの流れは、次のとおりである。
[1] U埠頭事務所内の私設バースに停泊したセメントタンカーから圧送されたセメントが、3本のチェーンコンベアの連結により、容量1万トンのセメントサイロに敷設されたバケットエレベーターに送り込まれ、10万トンセメントサイロの最上部まで搬送され、サイロ内に投入される。
[2] サイロ内で貯蔵・保管されたセメントは、1万トンサイロの下部に走っている4本のチェーンコンベアによりサイロから引き出される。
[3] 引き出されたセメントは、バケットエレベーターにより、小サイロ(容量85トン2基)の最上部に移送され、サイロ内に投入される。小サイロに貯蔵・保管されたセメントは、その後、セメントタンクローリー車に積み込まれ、出荷される。
本件災害は、[2]の工程において、4本のチェーンコンベアのうちNo.4の上方のセメントが固結し、No.4チェーンコンベアにセメントが流れなくなったため、以下の日程により、セメント山崩しの作業を行っていた最中に発生したものである。
災害の発生(11月18日)に先立つ10月18日、1万トンサイロ下部に走っているNo.4チェーンコンベアからセメントが引き出されて来ないため、同コンベア上方のセメントが固結し、ブリッジ状態になっているものと認識された。
このため、10月30日、セメントサイロ内部を点検したところ、No.4チェーンコンベア上方のセメントが山積みに堆積し、固結していることが判明、同日以降、断続的に固結したセメントの山を崩す作業に入った。11月7日以降は、1万トンセメントサイロ内に入り、スコップ、ツルハシ、サオ、振動ドリルで固結したセメント山を崩す作業を実施し、災害前日(11月18日)においても、サイロ内で固結したセメントの山崩し関連作業を行ったがセメントの山を崩すことができなかった。
災害当日(11月18日)は、固結したセメント山崩し作業に次の3名が従事した。
T:男52歳(被災者:死亡)
K:男43歳(被災者:休業)
Y.T:男48歳(U社U埠頭事務所長)
災害発生当日、午前9時頃より、1万トンセメントサイロの点検口を開き、固結したセメントの山崩し作業に入った。作業は、振動ドリルでドリルをかけながらサオで少しずつ崩していく方法であり、Tは、4.5メートルのサオでセメント山のチェーンコンベア上部を突っつき、Kは、長さ3.3メートルの振動ドリルで同様の箇所を突いていた。
昼休み後の午後1時頃、被災者両名は午前中と同様の作業を再開した。なお、T.Mは、午前10時30分頃よりセメントサイロ内に入り、作業を行っていたが、午後1時頃昼休みをとるためサイロ外部に出ている。
午後1時30分頃、崩していたセメントの山が、高さ約7.5メートル、幅3.1メートル、長さ6.0メートルにわたり崩壊し、TとKの2名がセメントの粉の中に埋まったものである。崩壊前のセメントの勾配は80度程度と推定される。
Kは、自力でセメントから這い出したが、Tは生き埋め状態となり、午後3時35分頃セメントの中から発見された。Tは、直ちに病院に搬送されたが、午後4時23分、窒息により死亡した。また、Kも左踵骨を骨折した。
なお、Tの服装は、上下つなぎの白い不織布の防塵服、ヘルメット、防塵マスク、保護メガネ及び長靴を着用していた。