この災害は、O港岸壁で、B国籍のE号 総トン数(30,767トン)から、カナダからの輸入製材を陸揚げ中、第3番船倉内で、あらかじめ荷に通されているベルトスプリングのアイを荷の上に並べていたところ、下降してきた本船揚貨装置のつり具(スプレッダー)に激突され、被災したものである。
 本作業は、T商会(労働者数128名)の作業員で行われ、本船責任者(昭和47年に船内荷役作業主任者(講習を終了)M.T、デッキマン(昭和60年に船内荷役作業責任者講習を終了)T.Y、ハッチボースン(揚貨装置合図者昭和50年に船内荷役作業責任者講習を終了)M.M、ウインチマン(昭和60年に揚貨装置運転士免許を取得)H.S及び船内作業員5名、陸上作業員4名の13名で行われた。
 災害当日、作業員は、午前8時頃営業所を出発し、O港のJ岸壁に到着、作業打ち合わせ後、午前8時30分頃から作業を開始した。作業を行った船倉内には、梱包された製材が3段(1段が2束分)に積まれており、これを4束×3列の12束を1回にスプレッダーでつり上げて、陸揚げする作業である。
 吊り荷の形状は、縦2.2メートル、横12メートル、高さ1.5メートルの直方体であり、重量は約30トンである。
 船内作業員の作業は、あらかじめ荷に通されているベルトスリングのアイを荷の上に並べ、次にスプレッダーのフックに掛けるものである。
 揚貨装置は、ガントリークレーンであり、本船に2基設置されている。当該ガントリークレーンは、運転室がつり具の移動と共に横行、走行する。昭和54年にT産業が製造したものであり、つり上げ荷重40トン、揚程27メートル、巻き上げ速度は毎分25メートルである。また、つり具のスプレッダーは、縦2.29メートル、横11.25メートル、高さ1.5メートル、重量約5.7トン、製造者は不明である。
 午前10時頃、3段目の最後から2番目の荷の陸揚げが終わり、ウインチマンH.Sが、スプレッダーを巻き上げて、揚貨装置を横行させ、船倉内側の左舷側壁から1メートルのところにスプレッダーを移動させた。このとき、スプレッダーは振幅約1メートルで揺れている状態であったが、同位置では、揚貨装置の運転室が、側壁の外側にでていたため、ウインチマンH.Sは、その状態を確認することができなかった。
 次に、ウインチマンH.Sは、同位置で揺れている状態のスプレッダーを降下させた。スプレッダーの降下に気づいた揚貨装置合図者のM.Mは、降下停止の合図をしたが、M.Mの合図した位置は、スプレッダーに隠れてウインチマンH.Sに見えなかったため、そのまま、スプレッダーの降下を続け、運転席からみて、スプレッダーのフックの位置が荷から高さ約50センチの位置で停止させた。この時も、スプレッダーの揺れは収まっていなかった。次に、ウインチマンH.Sは、側壁側にスプレッダーを移動させた。このとき、被災者は、荷の上でベルトスリングのアイを荷の上に並べる作業を行っていたが、揺れながら横移動してきたスプレッダーに激突され、さらにスプレッダーと側壁に挟まれて被災した。
 被災者は病院に運ばれ、治療を受けていたが、30日後に多臓器不全で死亡した。なお、被災直後の被災者の傷病名は、肝損傷、脾損傷、腸間膜損傷等であった。