この工事は、地中送電線管路築造工事であり、[1]発進及び到達立杭の築造工と[2]立杭間の管路築造工(長さ489m、直径1.8mのずい道の建設)の施工を行うものであった。
この災害は、[2]のずい道の掘削作業中に発生した。
この工事においては、泥土圧式(泥水)シールド工法が採用されており、シールドマシンによる地山の掘削、スクリューコンベアによるずりの排出、ベルトコンベアによる後方への搬送、後方台車による操作、鋼製セグメントによるずい道の支保、軌道装置(セグメント台車、鋼車、バッテリーロコ)によるずりの搬出、セグメントの搬入、発進立杭でのトラバーサによる車両の編成替え、クレーンによるずり函の地上への搬送など一連の作業が行われていた。
請負形態と工事の担当分野は次のとおりであった。
○ 元請……ずい道の測量;測量係員(D)
○ 1次下請と2次下請……不詳
○ 3次下請……シールド工事請負(5名体制;職長兼シールドマシンオペレーター(E)、バッテリーコロ運転手(A)、立杭上部門型クレーン運転手(F)、セグメント工(BとC)、及び1直に所属する現場責任者(G)
また、作業は、2直2交替制で各直5名の体制で3次下請の会社が工事を進めていた。(1直の始業終業時刻8時〜17時(休憩12時〜13時)2直の始業終業時刻20時〜5時(休憩0時〜1時))
なお、17時〜20時、5時〜8時の間は掘削は行われず、元請がずい道の測量を行う。
災害発生当日は、20時から2直(夜勤)の掘削作業が始まった。作業開始時、発進立杭から西に約120mの地点までずい道掘削が行われており、セグメントの建込みは154リングまで終了していた。ずい道は坑口から切羽まで約4%の一様な下り勾配であった。
作業開始前にミーティングが行われ、元請のDと3次下請の5名が参加した。その後、いつもの作業手順と内容のとおり、作業が進み、作業開始の翌日の0時20分頃に一段落し、休憩に入った。
このとき、シールドマシン周辺で作業をしていたE、B、Cの3名は、0時をすぎていたので作業を中断し、セグメントの建込み作業は休憩終了後に行う段取りとした。バッテリーコロ運転手のAは、運転しながら立杭に戻った。残りの3名はバッテリーロコの後を約120m歩いて立杭に戻り、地上に上り、現場敷地内の休憩所に行き、食事をとった。一方、立杭に戻ったAは、クレーンのつり具をずり凾にかけ、Fがクレーンを操作してずり凾を地上に上げた。その間にAはトラバーサを操作してセグメント台車の連結を離し、バッテリーロコと鋼車の2両編成にした。Aは、先の3名に遅れて地上に上り、休憩所で食事をとった。Fはずり凾のずりの排出を終り、クレーンを操作しながら立杭下の鋼車にずり凾を載せ、その後、Fも休憩所に行った。
1時頃、休憩を終えた5名は作業現場に戻るため、休憩所を出た。最初にBが立杭に降り、ずい道内に歩いて入った。次にシールドマシンオペレータ(E)と測量係員(D)が立杭を降り、ずい道内に歩いて入った。次にバッテリーロコの運転手(A)が立杭に降り、最後にセグメント工(C)が立杭に降り、ずい道内に歩いて入った。
この後、Aはバッテリーロコに乗り込み、鋼車を後押しして発車させた。運転席が坑口付近にさしかかったとき、鋼車がバッテリーロコから離れた切羽に向って走り出した。
鋼車は、坑口から約59m付近で、ずい道内を歩いていたCに接近した。Cは鋼車の轟音により、鋼車が走ってくるのに気が付き、とっさにセグメントの内壁に身を寄せたが、腕と背中に接触した。
切羽付近では、切羽に近い方にB、E、Dの順で歩いていたが、鋼車をよけることもできず、鋼車は、まずDに乗り上げ、Eに衝突して脱線し、坑口から約109mの地点で停止した。このため、測量係員(D)は頭部、胸部等を挫傷し即死した。また、シールドマシンオペレータ(E)は両足を負傷し休業2ヶ月の重症を負った。
災害発生直後、バッテリーロコの運転手が切羽で停止していた鋼車の状況を確認したところ、鋼車の連結器の上に、連結ピンが連結穴に差し込まれずに置かれてあったことに気が付いた。