この災害は、休止中キュポラ(溶銑炉)の炉内補修作業を行っていた作業者が隣接する稼働中キュポラの排ガスを吸入して一酸化炭素(CO)中毒に罹患したものである。
 当該事業場は昭和12年4月創立。現在は主要製品である自動車部品用の特殊鋳鉄(球状黒鉛鋳鉄品=別名ダクタイルのほか、マレブル、ねずみ鋳鉄)を製造しており、鋳鉄の種類・工程に応じて、キュポラ、アーク式電気炉、高周波炉及び低周波炉を併設している。
 災害が発生したのは、「溶解職場」と呼ばれるエリア内にある2基一体型のキュポラ(製造能力はいずれも4.5トン/h)のうち休止中のNo.1キュポラの炉前である。
 このときの稼働中のNo.2キュポラを使用した鋳鉄製造は、ダクタイルとマレブルのみで、ねずみ鋳鉄の製造は行われていない。
 以下に前二者の製造工程を掲げる。
1 両製品製造に係る共通の工程
  [1] キュポラ(4.5トン/h)に床込めコークスを投入して点火・暖気させた後、材料の鋼屑、戻屑(リターン材)、銑鉄及び追込みコークスを装入し、溶解する。
[2] 連続取鍋にて溶解湯の加炭・脱硫
[3] アーク炉(2.0トン)にて昇温
2 ダクタイル製造に係るその後の工程
  [1] 球状化処理(受湯時1次接種=鋳鉄に粘りをつけるための処理工程)
[2] 注湯(2次接種=ダクタイルの成分調整)
[3] ダクタイル製品化
3 マレブル製造に係るその後の工程
  [1] 高周波炉(1.5トン、1000Hz)にて昇温(マレブルの成分調整)
[2] マレブル製品化
 このうち、COガスが発生するのはキュポラ炉内の加熱溶解工程(上記1の[1])のみである。(上記1の[3]のアーク炉及び3の[4]の高周波炉ではCOガスは発生しない。また、ねずみ鋳鉄用低周波炉は災害発生当日稼働していない。)
 キュポラ炉内では、コークスと羽口から送風される空気中の酸素が酸化反応を起こす。
 C+O2→CO2
 温度が千数百度に上昇すると次の反応が進んで、COガスが発生する。
 CO2+C→2CO
 炉内に発生する排ガスはCOのほかN2、O2、CO2、SO2で、集じん機に吸引されて本煙突から排出される。
 2基あるキュポラは一日おきに稼働させている。いずれも昭和48年5月に設置以来災害発生時まで約22年間にわたって、一日おきの交代操作で継続使用している。休止しているほうのキュポラは、溶解熱による母材の損傷を防ぐため溶解作業者に常時補修させてきた。各キュポラには共用の集じん機(濾過式除じん装置)が設けられており、随時点検補修がなされている。
 災害発生時に稼働していたNo.2キュポラの稼働状況は次の通りである。
 前日午後5〜6時ごろまでに床込めコークスを装入
 同午後6時30分ごろ作業者AがNo.1キュポラのベルバルブを「閉」、No.2キュポラのベルバルブを「開」とした(ベルバルブは各キュポラ炉頂部排ガス取出口に取付けられた排ガスの切替に使用するベル型バルブのこと)。
 当日午前3時30分作業者Bが点火。
 同午前5時40分ごろ作業者Cが材料の鋼屑、戻屑(リターン材)、銑鉄及び追込みコークスを装入。
 同午前6時15分ごろ溶解職長が送風開始(このときターボブロア送風機の切替バルブはNo.1キュポラ側「閉」、No.2キュポラ側「開」)。
 災害発生当日、被災労働者は午前7時に出勤し、7時45分から正午までの間No.1キュポラ炉内の耐火レンガの取替え、煤等付着物の除去作業を行った。(被災後の記憶によると、補修作業開始前の点検でNo.1キュポラのベルバルブ「閉」、No.2キュポラのベルバルブ「開」を確認した後、ターボブロア送風機の切替バルブについてもNo.1キュポラ側「閉」、No.2キュポラ側「開」を確認したという。)
 また、この補修作業者に冷風を送るためスポットクーラー(冷風機1基から2本のダクトがキュポラ羽口に連結される構造になっている。)が設置されており、被災者が補修作業をしている間は、休止中のNo.1キュポラ羽口(5箇所のうちの1箇所)に差込んでガムテープで固定していた。このキュポラの残り4箇所の羽口は「開」、稼動中のNO.2キュポラの5箇所の羽口はいずれも「閉」であった。)
 45分の昼休みの後、午後12時45分ごろから午前中の補修作業を再開し、炉前地面からの高さ1.75メートルの作業床に上っていたところ、急に気分が悪くなって12時55分ごろ自力で地上に降りたが、意識障害を起こして地上に倒れていたのを12時57分に職長が発見し、救急処置がとられた。
 このとき、No.1キュポラの5メートルの位置にあるNo.2キュポラは稼働中であり、この稼働中のキュポラからCOガスを含む排ガスが休止補修中のNo.1キュポラ炉内に流れ込み、補修作業をしていた被災者がこれを吸入したため一酸化炭素による中毒に罹ったものである。